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現代音楽の中の笙(5):アカデミアから見る日本楽器

本コラムは、雅楽協議会発行『雅楽だより第64号』に掲載された記事です。

 近年、世界中の現代音楽作曲家の「高学歴化」が進んでいる。本来であれば、創作行為に学歴の有無はからきし無関係であるはずだが、演奏会プログラムの作曲家プロフィールを覗いてみると、大学院修士課程修了者が少なくない。その要因の一つに、記譜法や作曲技法、管弦楽法、プログラミングなど、極めてニッチな専門領域を、ハンズオンで学ぶ必要性が挙げられる。また、尊敬する作曲家から音楽美学を学べることや、作曲を定期的に指導してもらえる環境は、若手作曲家にとってやはり魅力的なのだ(世界の大都市圏やヨーロッパの一部地域を除き、大学が現代音楽のコミュニティ機能を維持し、支えている現実については、別の機会に論ずることにしたい)。このように現代では、世界中の多くの駆け出し作曲家が音楽大学、または大学院に在籍しながら、創作活動を続けている。

 音楽大学は、19世紀頃に欧州に普及した教育機関の形である。よって、バッハやヘンデルの時代には、音楽の高等教育機関は存在していなかった。現在、英語でconservatoryとして知られる音楽の高等教育機関だが、元は「孤児院」を指すイタリア語のconservatorioであり、1537年にナポリの病院付属の孤児院で音楽教育が開始されたことを起源とする。その後、行事のために質の高いオーケストラ奏者を送り出すために1795年に仏パリ国立高等音楽・舞踊学校(CNSMDP)が設立され、その後、ミラノ音楽院(1807)、プラハ音楽院(1808)、ウィーン国立音楽大学(1817)、ロンドン王立音楽院(1822)、ライプツィヒ音楽院(1843)、オーバリン音楽院(1865)など、数々の音楽高等教育機関が欧州、そして北米に創立された。

 第二次世界大戦までの音楽高等教育機関は、主にソリストやオペラ歌手、オーケストラ奏者、そして室内楽奏者を育成するための教育機関として位置づけられていた。よって、世界音楽(民族音楽学)が多くの音楽大学のカリキュラムに追加されたのは1960年代以降である。世界の音楽大学の学生が、雅楽の楽器である笙について学ぶことがあれば、大抵「世界音楽」という枠組みの中で触れることになる。

 世界音楽とは、実質的な定義として、所謂西洋芸術音楽以外の音楽文化を研究対象とする学問を指す。かつては比較音楽学(comparative musicology)、民族音楽学(ethnomusicology)という呼称が使用されていたが、西欧的観点を通じた自民族中心主義的研究への反省や、「他のどの学問の分野以上に“比較研究”をしているわけではない」(ヤープ・クンスト)といった意見、また、西欧音楽を頂点に置く価値観のヒエラルキーを固定化してしまうなどの批判もあり、「比較音楽学」に限って言えば、おおよそ学術界では使用されなくなった。しかし、世界音楽も、ヨルバ族のパーカッション音楽から日本の雅楽までの、広範囲に及ぶ多様な音楽文化を静態的なものとして一括りにしている点を問題視されており、「現時点において、『世界音楽』という名称が他の名称と比べて、最も否定的な意見が少ない」(フイブ・シッパーズ)といった消極的な理由をもって、学術界で用いられている。

 世界の音楽大学で西洋芸術音楽の作曲を学ぶ学生は、各大学のカリキュラムに少なからず違いはあるものの、一般的には和声学や対位法など、西洋音楽における音楽理論の基礎的知識を身に付ける他、楽器学や作曲技法などの学習に関しては、多岐にわたる演奏法を楽器奏者に実演してもらいながら、演奏法と音の特質との関係性への理解を深めていく。しかし、音楽大学は西洋音楽奏者の養成機関として位置付けられているため、世界音楽に関する体験学習的リソースが圧倒的に不足している現実がある。筆者は欧米の大学で、現代音楽における笙の作品分析や作曲技法のワークショップを行ってきたが、殆どの学生は、笙という楽器の存在や特性を知りつつも、実際に生で音を聴くのは初めてであった。

 しかし、一部例外もある。音楽大学ではないが、現在、米コロンビア大学やハワイ大学マノア校など、片手で数えられる程の、ごく少数の総合大学が、雅楽器を学生に貸し出し、雅楽(演奏)のクラスを提供している。これらの雅楽のクラスは、同大学作曲科のカリキュラムと直接的な関係はないものの、作曲科の学生は、雅楽器について書籍やオンライン資料だけに頼ることなく、多様な演奏法や楽器的特質を体験的に学ぶ機会を得ることとなる。

 ハワイ大学マノア校では、地理的にも文化的にも、米国本土と東アジアの中間地点というハワイ州の特殊性を生かして、従来型の西洋音楽教育の他、東洋音楽の教育と研究にも取り組んでいる。「本来であれば、日本楽器を用いた作曲法を学びたいのであれば、東京へ行くべきです。韓国楽器のための作品を作曲したいのであれば、ソウルへ、そして中国楽器の記譜法や作曲技法を習得したいのであれば、当然、北京や香港で勉強すべきです。しかし、それら全てを体系的に学べる場所が、実はここハワイなのです」そう話してくれたのは、ハワイ大学マノア校作曲科の教授を務めるドナルド・ウォーマック氏だ。

 「80年代頃、私がサウスカロライナ州のファーマン大学で作曲を専攻していた時は、『音楽史』のほんの一瞬の中で日本音楽を紹介されただけでした。それから40年近く経った今も、アメリカのほとんどの音楽大学や総合大学音楽学部での実態はあまり変わってないかと思います」

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ドナルド・ウォーマック氏(左)と筆者(2020年10月撮影)

 ウォーマック氏は現在、大学院生を対象とした「Intercultural Composition(多文化的作曲)」と題する授業を開講している。本講義では、『日本楽器法』(三木稔/著)などの書籍を教科書として使用しながら、日本楽器を含む東アジア楽器の作曲技法を、そして外国の文化を創作に用いる際に必要な倫理的判断基準について教えているという。音楽学や世界音楽という枠組みで雅楽の音楽文化を知るだけでなく、創作に応用できる形で、笙や日本楽器の作曲技法を学べるハワイ大学マノア校は、異なる音楽文化の横断的な文化的実践の拠点として機能し続けている。

 「多文化的作曲」を自ら実践するウォーマック氏は、東アジアの大学を何度も訪れ、演奏会やワークショップを開催してきた。そこで、欧米の大学作曲科のカリキュラムにおける東アジア楽器の普及を遅らせている要因の一つに気付いたと言う。「台北の大学を訪れた際に感じたのですが、作曲科では西洋音楽を学ぶばかりで、すぐ隣の教室で中国の伝統楽器を学ぶ学生達との関わりが一切ないのです。私からしたら、非常に貴重な文化的資源が目の前にあるのに、信じられないほど勿体ないことです。まずは、東アジアで作曲を勉強する学生達が、自国の伝統楽器の持つ魅力に気付いて欲しいです」

 アカデミアにおける日本楽器の普及に関しても、多くの課題がある。「ここ15〜20年ほどで、日本からの留学生が劇的に減りました」とウォーマック氏は言う。「概括的に語るのはあまり好ましくないのですが、東アジア出身の学生達は、自国にいる間は西洋楽器のための作品を作曲することが多く、海外に出ることで自国の伝統音楽文化に興味が湧いてくる、といった印象があります」。日本人の学生が海外留学を通じて、日本人としてのアイデンティティを強く意識したという話をしばしば耳にするが、海外留学を選択する学生の数が減少し続ける今、そこから派生しうる帰結に注視する必要性を感じる。

 また、決して理想的な現状とは言い難いが、東アジア音楽のリソースが足りない欧米の音楽大学そして総合大学音楽学部において、限られた大学予算や授業枠の奪い合いが日中韓の音楽文化専門家の間で起きており、外部資金の調達が研究の存続に欠かせない重要なポイントになりつつある。そこにおいても、日本音楽はやや遅れをとっている印象である。日本では政府が国家予算を通じて日本の伝統音楽文化や楽器の研究を国内外に広める支援体制が十分に整っておらず、2006年度より微増している文化庁予算も、他の所謂先進国と比べ、対GDP比で最低水準にあることが課題に挙げられる。

 筆者は現在ドイツ在住だが、在独韓国大使館や領事館では韓国伝統楽器の貸し出しやグループレッスンが行われており、少なくない市民が韓国伝統音楽を学んでいる現状を見ている。ソウルには1950年に開院された国立国楽院があり、毎年、世界中の音楽家や研究者らを、往復の渡航費などの必要経費を施設側が全額負担した上で招待をして、韓国伝統音楽に触れてもらう環境を提供している。また、ソウル大学では、西洋音楽の作曲を学ぶ作曲科とは別に、韓国国楽(伝統音楽)のための作曲専攻が存在する。日韓での「伝統音楽のあり方」に大きな差異があるため、単純比較はできないが、日本の3倍近い文化予算(支援事業の範疇が日韓では若干異なるが、2017年度の日本の文化予算は1043億円に対し、韓国の文化予算は2821億円)を用いて、自国の伝統楽器の研究を世界に広める韓国から学べることが大いにあるのではないだろうか。

 先に述べた通り、世界の若手作曲家が「大学」という「象牙の塔」で過ごす期間が延びており、この傾向は今後もしばらく続くと思われる。しかし、笙をはじめとする日本楽器の作曲法を学べる教育現場への助成は増えておらず、東アジア楽器の作曲法の研究をしている数少ない大学も、徐々に日本楽器から、リソースのより豊富な中国伝統楽器や韓国伝統楽器の研究にシフトしている。西洋音楽界に作曲家や演奏家を輩出するために存在している欧米の音楽大学や総合大学の音楽学部にて、若手作曲家が日本楽器に触れられる機会は極めて少ない。

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