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現代音楽の中の笙(1):笙と西洋五線譜

本コラムは、雅楽協議会発行『雅楽だより第60号』に掲載された記事です。

 ここ3年ほど、ほぼ毎月、アメリカやヨーロッパの大学に招待していただき、現代音楽作曲家の視点で笙の紹介をさせてもらっている。当初は、雅楽の紹介や、笙の楽器法について話して欲しい、という依頼が多かったのだが、2018年6月に米テネシー州ノックスビルで開催されたNief-Norf Research Summit: NEW ASIAにて『Shō in Compositions Today』と題した論文発表を行ってからは、笙の現代音楽作品の分析を授業で行って欲しい、といったメールが月に1、2件届くようになった。

 

 興味を持って教室に足を運んでくれるのは、電子音楽専攻を含む作曲科や音楽理論科の学生たちがほとんどだが、音楽学を勉強している学生たちも少なくない。講義では、学生の興味のある分野を見極めるよう、心掛けている。作曲科の学生の比率が多い場合は、作曲技法や特殊奏法、記譜法などについて詳しく紹介するが、音楽学の学生が多数の場合には、戦後作曲された笙の作品の紹介・分析などに重点を置くことにしている。

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ニューヨーク市立大学バルーク校で行った講義の様子(2019年3月)

 しかし、学生の専攻に関わらず、必ず話すのが、笙(雅楽)の時間性のことだ。音楽には大きく分けて、三種類の時間性があると考えている。一つ目が、西洋音楽の楽譜(西洋五線譜)に多く見られる、メトロノミカルな時間性。譜面上にメトロノーム記号と拍子記号が記譜されており、ブライアン・ファーニホウの作品に見られるような、難解なリズム表現を厳格に記譜するのに適した時間性だ。二つ目が、一部の雅楽曲などでも見られる、クロノメトリカルな時間性。客観的に数値化できるテンポ指定やリズム指定はなく、拍の伸縮率が奏者に委ねられている時間性とも言える。そして三つ目が、イデオマチックな時間性。こちらは、出した音が自然に振幅や音量、音色を変え、無音に向けて減衰するもの。無論、会場の大きさや観客の数など、周りの環境によって変わってくる。笙の作品を作曲していく上で、または、戦後作曲された作品であれ、雅楽曲であれ、過去の作品を分析する上で、この3つの時間性を考慮することで、新たな視点から笙を観ることができる。

 

 笙(雅楽)の持つクロノメトリカルな時間性を理解するためには、雅楽を聴くことは元より、雅楽譜とその機能性を学ぶことが必要になる。ただし、それは合竹の有する音楽的情報を、西洋五線譜の音高と持続という二つのパラメーターに落とし込むことだけでは十分ではない。西洋五線記譜法に従って合竹の有する音楽的情報を書き写した場合、拍の伸縮をはじめとする雅楽の伝統的な持続表現を明瞭に表示することは不可能である(それ以前に雅楽の拍という概念は、メトロノミカルな西洋五線譜的発想から思索すると、単なる暗示に過ぎないため、その持続を明瞭に表示する必要性はないのだが)。なぜなら原則的に、西洋五線譜には指定されたテンポに相関性のある音価が相互的に機能するという図式が存在し、そのシステムを使用した記譜上にて、奏者に拍の伸縮率を委ねる行為は、非合理的とも取れるからだ。

 

 笙は外来音楽として日本に取り入れられ、演奏されてきた歴史の大半は、機敏な運動性を求められない役割を担う楽器として演奏されてきた。楽器の構造上、キーのあるフルートや、鍵盤楽器であるピアノなどと比較するまでもなく、運動性が低いという特徴を持ち、その特殊性が、戦後音楽の作曲家の目に留まっているという現実がある。よって、笙作品を作曲する場合は、(個人的な美学的嗜好の誇示になってしまい申し訳ないのだが)厳格なテンポ指定や拍節の記譜は、それらを記譜せざるを得ない音楽的重要性が見当たらない限り、使用は避けるのが良いと考える。

 

 笙(雅楽)の持つコノメトリカルな時間性を最大限生かすため、現代の作曲家は西洋五線譜を多様にアレンジし、試行錯誤(と表現すると作曲家の先輩方からお叱りを受けるかもしれないが)を繰り返してきた。その中で私は、作曲家・石井眞木(1936~2003)の記譜を参考にさせてもらっている。《笙とチェロのための音楽》(1988)は西洋五線譜で記譜されているのだが、楽器の特性に考慮したものとなっている。より具体的に説明をすると、この作品にはテンポ指定や小節などが用いられておらず、作曲家が考える大きな音楽的フレーズからなる14ものセグメントに分かれている。セグメント番号の表記に続き、そのセグメントのおよその演奏時間が秒数で記されている(ca.はcircaの省略形であり、ラテン語で「およそ」を意味する)。 

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石井眞木《笙とチェロのための音楽》Copyright © by Mannheimer Musikverlag GmbH, Administered by Rob. Forberg Musikverlag GmbH. All Rights Reserved. International Copyright Secured. Reproduced by kind permission of Hal Leonard Europe S.r.l. – Italy

 また、各音の持続は、音符より時間軸に沿って伸びる横線で示されており、その精確な長さは演奏者の裁量に委ねられている。この作品はデュオのために作曲されたものであるため、小節が用いられていない中、二人の演奏者は互いのパートを聴き合いながら演奏を進めることになる。この現象は、ある程度どの音楽文化にも当てはまるが、この場合、雅楽の合奏法を意識して書かれた楽譜だと私は考えている。また作中、随所に見られる、笙とチェロの特定の音符、もしくはそこから派生する持続音を繋ぐ、縦に引かれた破線は、各パートの演奏上の同時点を表しているとともに、曲の速度を整える役割を果たしている。

笙とチェロのための音楽 (1988)

 無論、《笙とチェロのための音楽》以外にも、多くの笙の現代作品に、コノメトリカルな時間性を際立たせる記譜法が使用されている。増本伎共子氏(1937~)の《月》や、ポール・メファノ氏(1937~)の《La Matrice Des Vents》など、記譜へのアプローチは大いに異なるものの、笙の楽器構造や雅楽の時間性への考慮が譜面上から読み取れる。

 

 現代音楽は、まさに今、その定義や様式が形作られている音楽ジャンルである。難解な理論や概念を制作に取り込む作曲様式が根強く残る中、作曲家自身の自己表現をより重視する傾向が着実に深化しているよう感じる。正解のない現代音楽だからこそ、笙の作曲に関しても、個々の作曲家が表現したい内容をより反映できる記譜法が用いられるべきだと考え、海外の作曲家たちにそれを伝えている。

 

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清水チャートリー

現代音楽作曲家。大阪生まれ。国立音楽大学を首席で卒業と同時に有馬賞受賞。米コロンビア大学芸術大学院修士課程を修了。ヤドー財団コンポーザー・イン・レジデンス、三菱財団フェロー等を経て、2018年、ドイツに拠点を移す。現代音楽としての笙の記譜法や特殊奏法について、コーネル大学、プエルトリコ音楽大学、ストラスブール音楽大学などで特別講義を行っている。ドレスデン在住。

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